こんばんは、ブルです。
アダルトチルドレンの診断テスト26点満点中24点を取ってしまった私は限りなくアダルトチルドレンのようです。
この診断テスト、13個ある質問に、「はい」」「どちらともいえない」「いいえ」で答え、「はい」なら2点、「どちらともいえない」なら1点、「いいえ」なら0点と加点していき、合計12点以上だとアダルトチルドレンの可能性が高いそうです。
しかしこの診断テスト、全体的に極端というか質問が端的すぎて意図が分かりにくいんですよね。
そこで、アダルトチルドレンテストテスト高得点の私が一個一個噛み砕いてみることにしました。
まずは全項目を見ていきましょう。
- アダルトチルドレン診断テスト・チェック項目一覧
- 私は正しいと思われることに疑いを持つ
- 私は最初から最後まで、ひとつのことをやり抜くことができない
- 私は本音を言えるようなときに嘘をつく
- 私は情け容赦なく自分を批判する
- 私は何でも楽しむことができない
- 私は自分のことを深刻に考えすぎる
- 私は他人と親密な関係を持てない
- 私は自分が変化を支配できないと過剰に反応する
- 私は常に承認と称賛を求めている
- 私は自分と他人は違っていると感じている
- 私は過剰に責任を持ったり過剰に無責任になったりする
- 私は忠誠心に価値がないことに直面しても、過剰に忠誠心を持つ
- 私は衝動的である。行動が選べたり結果も変えられる可能性がある時でも、お決まりの行動をする。その衝動性は、混乱や自己嫌悪や支配の喪失へとつながる。そして混乱を収拾しようと、過剰なエネルギーを使ってしまう
アダルトチルドレン診断テスト・チェック項目一覧
1.私は正しいと思われることに疑いを持つ。
アダルト・チルドレン特性と対人関係でのストレスの自覚の程度との関係
2.私は最初から最後まで、ひとつのことをやり抜くことができない。
3.私は夲音を言えるようなときに嘘をつく。
4.私は情け容赦なく自分を批判する。
5.私は何でも楽しむことができない。
6.私は自分のことを深刻に考えすぎる。
7.私は他人と親密な関係を持てない。
8.私は自分が変化を支配できないと過剰に反応する。
9.私は常に承認と称賛を求めている。
10.私は自分と他人は違っていると感じている。
11.私は過剰に責任を持ったり過剰に無責任になったりする。
12.私は忠誠心に価値がないことに直面しても、過剰に忠誠心を持つ。
13.私は衝動的である。行動が選べたり結果も変えられる可能性がある時でも、お決まりの行動をする。その衝動性は、混乱や自己嫌悪や支配の喪失へとつながる。そして混乱を収拾しようと、過剰なエネルギーを使ってしまう。
私は正しいと思われることに疑いを持つ
詐欺が横行してる世の中ですからそんなの当たり前じゃないか!とかそういった「なんでもかんでも疑ってかかる」田舎から上京したての若者のようなことをいっているわけではないということはなんとなくわかります。
「ここでは「正しいと思われること」と書いているため、既知のこと、誰がどう見ても事実だろうというなことを疑ってかかるということでしょう。
じゃあそれってどんなことだ?と考えてみました。
- 本当に地球は丸いのか?
- タバコが体に悪いなんて本当は嘘なんじゃないか?
- うちの両親と自分は本当に血がつながっているのか?
- 昨日食べた鰻は国産って書いてあったけど本当か?
なんかどんどんずれていってるような気がするのでこの辺でやめておきましょうw
考えてもピンとこないですね。
バラエティなどテレビ番組はヤラセじゃないかって疑ってかかることはよくありますが、ニュースなどの報道に関してそこまで疑念を持つことはないですかね。
この場合私はどちらともいえないになりました。
ピンと来た方、どう解釈していいか教えてください。
最初の項目から難解!幸先が悪くてすみません。気を取り直して二個目いきましょう。
私は最初から最後まで、ひとつのことをやり抜くことができない
これが本当なら社会人やってけません。
仕事を最後までやり抜くことができないのですからね。
なのでそこまで極端なことをいってるわけではないと思います。
なぜならアダルトチルドレンは病気ではない(疾病名があるわけではない)ので、自分が行う事柄を完結させることができないほどの状態だとすればそれは間違いなく何かしらの病気でしょう。
ですからここでいう「やり抜くことができない」は、「やり抜くことが困難」とか、「継続して行うことが難しい」と受け止める方が無難でしょう。
前置きが長くなりましたが、そう考えると私の場合も仕事に少なからず影響を及ぼしているようです。
当然仕事をこなせないわけではないのですが、直面したことのないトラブルや新たな仕事、課題に対峙しなければならないときにものすごく億劫になるんですよね。
これは自分にはとてもじゃないが無理だとか、上司がやるべき仕事だとか決めつけ、不満や不安ばかりが先行して本腰を据えて問題に取り掛かるまでに時間がものすごくかかるんですよね。
また、取り組んだと思っていても集中できず、その間入ってきた簡単なタスクなどに気を取られ思うように進捗しないことも多々あります。
あとは飽きるからなのか仕事が定着せず、私は30代前半にして転職回数が7回もあります。
また、プライベードであれば、本を最後まで読み通せない、テレビゲームを最後までクリアできない、ギターを買ったけど全然続かないとか、バイクを買ったけど全然乗らないとか、ただの飽き性という言葉一つでは片付けられないレベルですよね。
私は本音を言えるようなときに嘘をつく
私の場合、自分の本音を晒すことよりも、その本音をいうことで相手がどういう反応をするか、自分に対してどんな気持ちになるかなど深読みをします。
他人に嫌われたくない、受け入れられたいという承認欲求が異常に強いからです。
本音が話せれば楽なのに、嘘をつくことを避けては通れないといういわば強迫観念のようなものが常に存在しているのです。
私は情け容赦なく自分を批判する
例えばテストで悪い点を取った時、テストの点数が悪かったから落ち込むというよりは、その点数が親に知られることで怒られたり、期待に応えられず悲しませたりすることに対して過度の罪悪感を抱くのです。
罪悪感は自尊心を奪い、もう自分はだめだ、立ち直れないと自分を精神的に追い詰めます。
ポジティブな考えが割り込む余地はありません。
私は何でも楽しむことができない
みんなが楽しんでいるように見える状況でも自分だけ浮いているように思う時がよくあるんですよね。
「今日は嫌なことも忘れてとことん楽しもう」なんてセリフを聞くことがありますが、その時を素直に楽しむということができないんです。
常に心の中には何かしらの不安がつきまとっていて、それが無意識のうちに頭から離れないでいるのでしょう。
空元気、作り笑いになってしまっていることも多く、周りの楽しそうな人たちを見るたびに、「なんて楽しそうなんだろう。うらやましい」と思ってしまいます。
私は自分のことを深刻に考えすぎる
私が深刻に考えるのは自分の中にある不安ですね。
その不安も仕事上や人付き合いなどの明確なものもあれば、漠然とした取り除くことができないような不安が常につきまとっているような感覚です。
私は他人と親密な関係を持てない
ここでいう「親密な関係」は、自分のことを何でも話せる、且つ相手に言いにくいようなこと(相手が傷つくかもしれないが相手のためを思って言う内容)でも思ったことを素直に伝えられるような関係値を築くことができるか、だと私は解釈します。
自分のことを深刻視するばかりで相手のことをあまり考えないのか、他人のことに深入りしようとしませんし、かといって自身の素性やセンシティブな内容を伝えることも苦手です。
でも敵は作りたくない、誰にでも受け入れられたいという欲求が強いせいで、相手の望む人間になろうと必死にがんばります。
話を合わせ、同調し、自身の見解や本音は胸にしまっておく。
その結果、相手からは好かれる人間になるかもしれませんが、自分にとってそれは本当の友情ではなく、虚像です。
常に自分が人からどう思われているかに気を取られ、疑心暗鬼から他人を信用することが難しいのです。
他人を信頼できず、真実を隠した友情は、その後も隠し続けなくてはならず、ただ消耗するだけ。
親密な関係など気づけるはずがありません。
なので私の場合の交友関係は広く浅く、大抵の場合無難な付き合い、いわゆるうわべの付き合いなのです。
私は自分が変化を支配できないと過剰に反応する
新しい環境が苦手で、体調を崩すことがよくあります。それは、変化を掌握して順応しようと脳と体が必死になるからだと思っています。
素早く適応して一分一秒でも自身から不安を取り除きたいからなのかもしれません。
しかしそれが自分の思い通りに事が運ばなかったとき、ひどくストレスを抱えることになります。
変化を嫌うという背景には、変化後に事態をコントロールできなくなることへの恐怖や不安があるからでしょう。
私の場合HSS型HSPのため、変化に惹かれ、新しいことにチャレンジすることもしばしばですが、変化後は適応するのに必死で自身を追い込み、疲れ果ててしまいます。
私は常に承認と称賛を求めている
いわゆる「褒められて伸びるタイプ」です。他人からどう思われているかで自分の価値が決まると解釈します。
自分の存在意義のためには他人からの承認が必要不可欠といっても過言ではないほどです。
そのため、自分の人生がいちいち他人に左右され、常に周囲の顔色を伺い、好かれるための努力をたとえ嘘をついてでも実行しようとします。
私は自分と他人は違っていると感じている
そんなのみんなそう感じているに違いない、逆に自分と他人は同じだと思っている人がいるのか?と思うほどです。
なのでここで言っているのは「自分と同じような考え方、精神状態の人は他にいない、同じ人間でありながら種類が違うと思っている」という解釈をしてみました。
私は過剰に責任を持ったり過剰に無責任になったりする
「スイッチが入ったように物事に取り組むこともあれば、開き直って無責任になる」とか「自分のことを過剰に責めることもあれば急にどうでもよくなる」ということがありますね。
その中間、ノーマルな状態があまりないのかもしれません。
私は忠誠心に価値がないことに直面しても、過剰に忠誠心を持つ
これもちょっと難解です。
まず忠誠心の対象は「人」と考えましょう。
そして忠誠心というのは自分よりも目上の人に対して示されることから、自分の上司であったり先輩であったり親などが対象といえるでしょう。
そしてこの承認は目上の人から得られるほうが効果大なのです。
歳下に褒められるより、自分より上の人に褒められるほうがうれしいと思いませんか?
つまり、親や先輩や上司といった人たちが、どんな意味のないような、おかしなことを言っていたとしても、「お上がそういうのであれば本当は黒だけど白」というような気概で接してしまうのです。
嫌われたくない、受け入れられたいという異常な欲求から来ているのかもしれませんね。
私は衝動的である。行動が選べたり結果も変えられる可能性がある時でも、お決まりの行動をする。その衝動性は、混乱や自己嫌悪や支配の喪失へとつながる。そして混乱を収拾しようと、過剰なエネルギーを使ってしまう
これまた長文で難解ですね。
衝動的なのにお決まりの行動をするって矛盾してますよね。
私は学習性無力感のことを言っていると思いました。
この学習性無力感とは、ちょっとの勇気や行動力があれば打開できそうな状況も、はなから「どうにもならない」「どうしようもない」と決めつけ、行動を起こそうとしないことをいいます。
そして動けなかった自分に対して嫌悪感を抱き、更なる負のスパイラルに陥っていくのです。
動けなかったことに対して罪悪感を抱くこともあれば、過剰に無責任になることもあるのです。
このちょっとの勇気や行動力で事態を収束させたい!いや、やっぱり無理!という自分の中の葛藤で過剰なエネルギーを使ってしまうのだと思います。
学習性無力感についてはこちらの記事で詳しく書いています。
まとめ
以上13個の項目を見ていきましたが、皆さんいかがだったでしょうか。
あくまで私個人の主観ですから、この項目のニュアンスはこうじゃないかというのがあれば教えていただけると助かります。
合計点数が12点以上で晴れてアダルトチルドレンの仲間入りを果たした方もいらっしゃるでしょう。
でも落ち込まないでください。
毎日楽しくない、毎日疲れ果てると思っていたのはこれのせいだったんだと思うと、逆に私は気が楽になりました。
それに自分の悩みや傾向がわかっただけでも、今後の人生に対策を立てる事ができます。
アダルトチルドレンはいくつかのタイプに分かれており、ピエロタイプに該当する私のことを書いた記事もご覧ください。
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