お酒と宗教と毒親が生み出したアダルトチルドレンの末路

HSP気質や生きづらさ/アダルトチルドレン

こんばんは、ブルです。

アダルトチルドレン(以下略してAC)とは、大人になってからも幼少期のトラウマに悩まされたり、抑圧状態が続き、生きづらさを抱えた人たちのことです。

病気でも疾病名でもありません。

元々アルコール依存症を親に持つ家庭で育った人のことを指す言葉だったようですが、今ではその枠だけにとどまらず、機能不全家族で育った人も含まれるようになりました。

機能不全家族とは、本来あるべき姿の家庭とは異なり、虐待や抑圧など子どもの成長に悪影響を及ぼす環境といえます。

この機能不全家族の元凶になっているのが親です。

最近では「毒親」なんてわかりやすい呼び方もよく聞きますね。

自分の親を毒親と呼ぶのは、曲がりなりにもここまで育ててきてくれた親への呼称としてどうなんだと思われるかもしれませんが、毒親を持つ当事者たちからすれば適切な表現なのでしょう。

かくいう私もそのアダルトチルドレン(AC)なのですが、その原因は何だったのか、記憶を振り返って見ていこうと思います。

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アルコール依存症の父親

いわゆるアル中というやつですね。

うちは代々アル中の家系でして、おじいちゃんもアル中、父親もアル中、そして私もお酒が好き。

家族間で遺伝するというか伝染するものですね。

元々ACはアルコール依存症の親を持つ家庭で育った子どものことを指しますから、私は王道の「THE アダルトチルドレン」なわけです。

そんな父も母や子どもの私に対して手をあげるということはありませんでした。

殴られたりとかそういう実害はありませんでしたが、夜遅く酔っ払って帰ってきて母親と口喧嘩することは日常茶飯事。

酔っ払って大きな声で罵り合い、母親も酔った父親に負けないぐらい怒る、次第に喧嘩はヒートアップしていき母親が泣き出し、家を飛び出していくことなどもありました。

酒代で家計も苦しいというのは子どもながらにわかりましたし、あんな父親にはなるものかと反面教師にしていた部分もありました。

泣かされる母親を哀れと思いましたし、せめて自分は良い子でいよう、母親を悲しませないようにしようと誓うようになりました。

ここまで読んでいただくと、典型的なACだと思われるかもしれません。

しかし、ACの原因はアルコール中毒の父親だけでなく、母親にもあったのです。

宗教に熱心な母親

私の母親は私が物心つくころにある宗教に入信しました。

名前は伏せますが、何かと話題になる割と有名な宗教です。

母はその宗教の教えに従うようになり、子どもである私を宗教の集いに参加させるようになりました。

父親は子どもの意志ならまだしも、親の意志で宗教に参加させることに反対していました。

それが両親の喧嘩の火種になっていたことはいうまでもありません。

父親がどうしようもないアル中だったから母親は宗教に救いを求めたのか、それとも母親が宗教に狂ったから父親がアルコールに逃げたのか、どちらが先だったのかはよく覚えていません。

ただそんな順番は子どもにとってみればどうだっていいことで、どっちも喧嘩の原因になっていたのは明らかで、悪影響にしかなっていなかったからです。

条件付きの愛情

喧嘩がひどくなるとますます母親は宗教に熱心になり、父親も酒を浴びるように飲むようになりました。

酩酊を禁じる教え、真面目な人ばかりが集う宗教の傍ら、ひどく酔っ払った父を見るというこのギャップは衝撃的なものがありました。

宗教の教えでは人間は不完全だと言いつつも、親に従順に、そして高い道徳基準を守るよう教えており、少しでも教えから背くような行動を取ると、母親はひどく怒り、悲しみ、泣きました。

そんな落胆する母親を見た私は、内心嫌々ながら宗教を続け、うわべだけ取り繕って意に反した行動を取らざるを得なくなったのです。

子どもながらの純粋な気持ちに嘘をつき、自分を押し殺してきたのです。

本来ならば無条件で愛されて普通な子どもが、宗教の教えや母親に従順でなければ愛情を注いでもらえない状態にあったのです。

教えの中には、学校の行事や、ごく普通に祝われているようなイベントにも参加してはいけないことになっており、部活をすることや友人関係まで制限されました。

そこには子どもらしい自由さはなく、抑圧されているとしか感じませんでした。

宗教と毒親との決別

まずは過干渉な母親から卒業しなければ、この先永遠に自立できないと思うようになり、ひとり立ちしたいという強い思いがずっとありました。

ですから家を離れる機会をずっと伺っていましたが、20代も半ばを過ぎた頃、仕事の都合を理由に強引に家を出ることになったのです。

そして宗教自体に傾倒していたわけではない私は、親元を離れてすぐ宗教もやめることになりました。

教えの中でご法度とされている禁止事項をカミングアウトすることで、いわゆる破門になったのです。

組織から排斥されると現役の母親は私に干渉できなくなるというのも教えの一つでしたので、当然母親は悲しみましたが、以降母親と接することはほぼなくなりました。

決別後は心機一転上京へ

毒親と宗教から一気に解放された私は、ずっと狭いカゴの中で飼われていてある日開放された鳥のように東京へ飛び立ちました。

一見自由を手に入れたように見えるかもしれませんが、20代半ばまで宗教組織にいた私はその後遺症に悩まされることになりました。

これがACの持つ生きづらさというものなのでしょう。

気づくと自分がお酒の問題を抱えることに

お酒に酔うことで一時的に辛さを忘れることができるので、私も父親と同じようにアルコールを一種の精神安定剤として利用していました。

激務の仕事に耐えかねた時や、孤独を忘れるためお酒を飲みすぎることもありましたし、問題行動に繋がることもよくありました。

お酒はACの生きづらさを一時的に緩和させることはあるかもしれませんが、依存しすぎるとあらゆる問題の引き金になって第2のACを生み出すかもしれないことを決して忘れないよう自分に言い聞かせています。

教えがもたらした苦痛

長年学んできた教えは忘れようとしても忘れられるものではありません。

その教えとは、「信じる者は救われる」ですから、当然信じない者は救われないのです。

その救うか救われないかの審判の日が非常に近いと教えられており、いくら頭の中で否定しようとしても心の奥底にはそれがつきまとっているのです。

今でも悪夢にうなされることがあり、精神衛生上よくないですね。

母親との関係によって生み出された後遺症

母親と自分の関係、これが自分の中では一番根深い問題であり、非常に長い期間の強い葛藤を生み出す原因でした。

母親自体、片親家庭(機能不全家族)で育っています。

恵まれた家庭環境ではなかったでしょうからその点両親に育てられている私よりもつらい人生を歩んできたのではないかと思うといたたまれない気持ちになります。

母親のこととなると、ペンが走らなくなるのです。

自分の人生を歩みたいという意志も、自分の本音を話すこともできず、自身の前に置かれた選択肢はただひとつ、宗教という束縛、いえ、厳密にいうと宗教をふりかざした私への支配でした。

まとめ

アルコール依存性の父、過剰な制限が設けられ、条件付きの愛情で抑圧を強いた宗教とそれに熱心な母、このどちらか一つだけでもACになる要素としては十分だったでしょう。

ただこのダブルパンチは今考えると本当にきついです。
親との関係にしっかり向き合い、和解できたとしても、形成されたACの気質や特性が直るわけではありません。

前を向いて歩んでいくために始めたブログですから、脱鬱ブログ!でがんばっていこうと思います。

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