こんばんは、ブルです。
最近はガチャガチャ人気が再燃していますよね。
ショッピングモールにいけば必ずといっていいほどガチャガチャ(カプセルトイ)のブースがあり、これでもかといわんばかりにずらーっと並んでいるのを見かけます。
私は今30代半ばなのですが、小学生ぐらいの頃によくガチャガチャを引いていたでしょうか?
ロックマンという当時流行っていたアクションゲームがあったのですが、そのガチャで恐らく一番いい(一等クラス)キラキラした子どもが喜びそうな時計が当たってものすごく喜んでいたのを今でも思い出します。
それからはさっぱりガチャを回すこともなくなり、次にガチャを引くことになったのが、スマートフォンのゲームアプリで回す「ガチャ」でした。
デジタルガチャが若者を中心に火がついたことから、それまで下火だった元祖ガチャに好影響を及ぼし、再度人気を呼び戻したといったところでしょうか。
話がそれましたが、今回は、「親ガチャ」について考えてみることにしました。
「親ガチャ」の結果をアダルトチルドレンが格付けしてみたら最低ランクからどんどんランクアップした
まず親ガチャとは何か。
子どもは自分で親を選ぶことができず、どういう境遇に生まれるかは運任せであることを、何が出てくるかわからないガチャガチャ(カプセルトイ)に例えて「親ガチャ」と呼びます。
「親ガチャ」という言葉を使う大半の人は、親に恵まれなかったと訴える人のようです。
例えば、よく聞く理由としては下記が挙げられます。
・貧しい家庭で生まれた
・片親、もしくは親がいない家庭で育った
・容姿にコンプレックスがある
・田舎で育つことになった
確かに気持ちはわからなくもないのですが、上記を見ると、その対極には他人との比較があることは明らかです。
・貧しい家庭で生まれた⇒お金持ちがうらやましい…
・片親、もしくは親がいない家庭で育った⇒自分には親の愛情が足りない…
・容姿に恵まれない⇒親がもっと美男美女だったなら…
・田舎で育つことになった⇒華やかで賑やかな都会で暮らしたい…
対極の理由を見た時にわかること、それはつまり、人はないものねだりの生き物だということです。
同調圧力の影響を受けやすい若者は特に、このないものねだりに陥りやすいといえるでしょう。
高校時代、周囲のほとんどが携帯電話(ガラケー)を所持していましたが、私は家も貧しければバイトもしていなかったため、高校卒業間近になるまで携帯電話を買うことができませんでした。
周りが楽しそうに携帯を触っているのを見て、それは惨めな思いをしたものでした。
その時の私であればきっと、「もっと家庭が裕福であれば…」と、自分の境遇を嘆いていたでしょう。
特殊な家庭環境だった子ども時代
アルコールの問題を抱える父親と、特定の組織に入って熱心に活動する母親という特殊な家庭で育った私。
収入は酒代に消えていったのでしょう。家庭は貧しく、ギリギリの生活をしていたはずです。
加えて、コンビニなんてないド田舎に住んでいて、都会には憧れよりも恐怖を感じていました。
過干渉・過保護に加え、両親の絶え間ない喧嘩の元で育ち、いわゆる機能不全家族で大人になった私が、後にアダルトチルドレンで生きづらさを感じるようになったのはいうまでもありません。
コンプレックスの塊のような私でしたが、当時親ガチャという言葉が存在していたら、私の親は星1個(最低ランク)、いや、むしろ星マイナスの最低キャラに感じていたかもしれません。
親を離れることで「親ガチャ」のランクがあがった
20代半ばで親元を離れ、ド田舎を離れ上京した私は、考え方がガラッと変わりました。
成人して親元を離れれば、基本自由ですし、行動の責任は良くも悪くもすべて自分に返ってきます。
働かなければ食べていけませんし、贅沢をしたければ自分の力で収入をあげなければなりません。
全ては自分次第になるのです。
ありきたりではありますが、その時初めて、「親のありがたみ」を感じることができたのです。
親ガチャのランクは、星1個(最低ランク)から星2個(通常ランク)にあがりました。
育児をすることで「親ガチャ」のランクは更にアップ
それから歳月は経ち、結婚、妻の出産からの育児を経験することになりました。
いろいろあって私の親からは祝福されない結婚になり、結婚式も当然うちからは誰も来ないという悲しい(けどどうしようもない)経験もしました。
でも、子どもを育てることがどんなに大変なことなのかを身をもって知ることにより、「親ガチャ」という言葉を軽々しく口にするということは考えられなくなりました。(今までも使ったことはありませんが)
曲がりなりにも赤子から大人になるまで育ててくれた親に対して「親ガチャ」というアプリゲームの行為になぞらえて、しかも「恵まれなかった、ハズレを引いた」などと言うのは、それは育てた親からすれば大変失礼な言動と感じることは間違いありません。
「親ガチャハズレ」と親のせいで自分の人生が生きられないと嘆いているアダルトチルドレンへ
正直なところ、アダルトチルドレンという言葉の重みを知っている当事者たちは、「親ガチャ」などという流行りで造語の軽い言葉で自分の境遇を言い表せるものでないことは重々わかっています。
もし、自分は親ガチャハズレと思っている人がいたら、それは自分の人生を他責にしていることになります。
自分の人生が親のせいで台無しになったと思う気持ちもわかります。
でも、人はいくつからでもやり直しはできますし、そのやり直しが例え遅くなってしまったとしても、そこから先の人生を幸せと感じることができればそれでいいのです。
いくつになっても「親がああだったから今の私はこうなってしまった」と言っている人は、ずっと前を向くことができないのではないでしょうか?
私もこんなことを言っておきながら、アダルトチルドレンの後遺症は強いものがあり、いまだにふわふわした思考、自分の人生とは何か?自分は何がしたいのか?といった問いに答えられない自分がいます。
自分軸が相変わらずないんですね。
ただ、親の影響下からは完全に離れることができているため、今はその答えを探して生きているのかもしれません。
特に成人しても尚、親元にいて、親に束縛されていると感じているアダルトチルドレンは、一度勇気をもって距離を置いてみられることをおすすめします。
「親ガチャ」のランクが変わるかもしれませんよ。
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