こんばんは、ブルです。
私、実は自分がアダルトチルドレンだということを20代半ばの頃、母親に告白したことがあるんですよね。
私にとっては父親と母親どちらも機能不全家族の原因になっているにも関わらず、母は父親のアルコール依存症が原因だと喧嘩のたびに私のアダルトチルドレンを持ち出しては火種にしていました。
もう10年も前の話になり、当時は私自身が「アダルトチルドレン=アルコール依存症の親を持つ家庭の子ども」という理解でいたため、母親がそのように解釈してしまったのも無理はありません。
それから数年、現在と時が経つにつれて、アルコール依存症の親だけではなく機能不全家族のもとで育った子どももアダルトチルドレンになるという深い理解が得られました。
実家を出て親から離れて暮らすようになり、ACについて学べば学ぶほど私の受けた影響はアルコール依存症の父親よりも母親からの影響のほうが随分と大きいことに気づいたのです。
今回は、アダルトチルドレンに訪れる3つの山場と、それにどのように備えることができるかについて書いていきたいと思います。
アダルトチルドレンが迎える3つの山場とは?
20代前半だった私は、とにかく私を縛りつける母親と属していた組織から抜け出したいという一心でした。
どうやったら親や組織から自由になれるだろうかと考えてもすぐに頭の中が「それは絶対に無理だ」と拒否反応を示すのです。
この状況をどうしようもできないのであれば、いっそのこと人生を終わらせてしまいたいと思ったことさえありました。
山場1.親元を離れる時
アダルトチルドレンを自覚していてかつまだ親元で暮らしている人にとって、この親元を離れるというのは非常に高い壁のように感じるかもしれません。
私もそうでした。そして実際に一番高い壁といって間違いないでしょう。
私の場合、親元にいてはまともな精神状態を保つことができませんでした。
失われた自分を取り戻し、新たな人生を歩むためには親から離れることが欠かせません。
望んでもいないのに親と共依存の状態になっている、これは年齢を重ねても自分が行動しなければ変わることはありません。
私はそのままの状態で30代、40代を迎えることなどできるものかと20代半ばの時に勇気を振り絞って半ば半狂乱になりながら行動を起こしました。
この20代半ばの時の思い切った行動がなければ、10年経った今でも私は暗闇の中にいたことでしょう。
私が親の元を去った経緯については下記の記事でも書いていますのでぜひご覧ください。
山場2.親元を離れたあとの長い年月
無事に親元を離れることができた人が経験する次の山場、それは親のいない普段の何気ない生活です。
確かに親から離れられた当初は、計り知れない解放感を得ることができるでしょう。
私も「やっと自由になれた!これからは自分の人生を歩んで幸せになってやる!」と思ったものです。
実際、行動を制限されていた親元にいた時と比べて自由になりいろんな経験をできたのはよかったですし、今では結婚して子どもにも恵まれている状態で日々を過ごすことができています。
親元を離れる時円満にことが進めばいいのですが、アダルトチルドレンの場合ひと悶着あって喧嘩別れのような形になることのほうが多いでしょう。
そういった場合、ふとした瞬間に親との確執や過去がフラッシュバックしてつらくなることがあります。
自責の念に駆られる
親を長い間離れた後つらいのは、思い出したくない過去を思い出してしまうです。
今までべったりだった親を離れ、長い年月が経つことでどこか寂しい気持ちも出てくるんでしょうね。
当然嫌だったこともたくさん覚えていますが、これだけ遠ざかっていると良い思い出もじわじわと浮かんでくるものです。
自分がACになったのは親のせいだ!と思いつつも、いろんな背景を考えた時に、一概にしようがなかったのかなとか、私が悪かったのかなとか思うようになるのです。
このような背景を考えた時に、両親たちもまたアダルトチルドレンだったのではなかろうかと思うのです。
昔の人といったら失礼ですが、私の両親はACなどという言葉は聞いたこともなかったでしょう。
そんないろいろある大変な中で、曲がりなりにも自分をここまで養い、成長させてくれた親に「毒親」などという言葉を使っている私は最低な人間なのではなかろうとか自分を責めることだってあるのです。
親の期待を裏切ったという気持ちは自分の中で生き続けます。
それに加えてアダルトチルドレンの持つ生きづらい気質が普段の生活の邪魔もしてきます。
そして次にいつ親と向き合わなければならなくなる時がくるのだろうという状況の中長い期間を過ごすのはじわじわと心を圧迫するのです。
アダルトチルドレンの気質と上手に付き合う方法は下記の記事で書いていますのでぜひご覧ください。
山場3.親と向き合う時
最後の山場、それは親と再度対峙する時です。
その時は刻一刻と近づいてきています。
私にはまだその時は訪れていませんが、各家庭で状況は違うためいろんなパターンがあるでしょう。
私もいずれ上記の状況が来ることがあるのかもしれませんが、何の準備もなければ会う覚悟もできていない状態です。
場合によっては数十年の時を経ての再会になる人すらいるでしょう。
その場合、年老いた自分の両親を見るのは非常につらいことです。
その時やってくる感情は、なんだか今まで申し訳なかった、もっと親孝行できたんではないだろうかというやりきれない気持ちになりそうです。
なんとも複雑な感情です。そう思うなら今行動して親と和解すればいいと思うかもしれませんが、いろんな事情があってそれもかなわない状況です。
まとめ
アダルトチルドレンとひとえにいっても家庭環境はまるで違うでしょう。
ですから人それぞれ親に感じる思いというのは違うはずです。
私の場合は親+組織も関係していたため余計に複雑な家庭環境になってしまったといえます。
逆に親から虐待などのひどい仕打ちを受けて育った人からしてみれば、親などこの世から消えて欲しいと思っている人もいるでしょう。
今回の記事はあくまで私が抱く親への複雑な感情を記したものになります。
必ずしもすべての山場を経験することにはならないかもしれませんが、この3つの山場を越えることで真に自立して強くなった自分になれると思っています。
いつ親からの知らせがあるかわかりませんが、親からの知らせを待つのか、自分から親へ知らせるのかということも考えていかなければならないでしょう。
私もそろそろ親と向き合う準備を始めなければと思っています。
コメント
お初です。
二十歳前後で山場1。
その後 長い期間(30年くらい?)山場2。
そして今、もしかしたら山場3という期間です。
私の生育過程も機能不全家族でした。アルコール依存性の母親と、何かの組織に没頭する両親。
没頭して生きるよすがにして生きてはいるのですが、父と母ではその組織での教えの活用ぶりが見事に真っ二つでした。
父はそれを私達家族や大切な周囲にプラスのストロークとして肯定的に実行し、母はその組織の教典を私や、時に弟や、母のいけ好かない者達をディスカウントする為に使っていました。
私はディスカウントという支配を受けていたので辛くて辛くて生育過程をドロップアウトして今があります。もちろん出る時は母も私も互いに半狂乱でした。
が、溺愛という名の支配を受けた弟2人は今53才と43才になろうとしていますがパラサイトシングルであり、長い長い引きニートです。
また思うところあれぱお便りいたします。
あ。
元々、〝お風呂がツラい〟事から検索して流れ流れてこちらのブルさんの記事に流れ着いた次第です。
自動思考とかフラッシュバックとか名前フラバとか見捨てられ恐怖などと一緒に人生を歩んでおります。
コメントいただきありがとうございます。
私ととても境遇が似ていてびっくりしました!
両親が同じ組織に属していながら、影響のされ方がまったく異なっていたというのも家庭の不和につながっていたんでしょうか。
弟さんたちお二人が受けた影響というのもそうとうなものですね。
私の場合父がアルコール依存症でしたが、母親のパターンがアルコール依存症でいらっしゃったんですね。
お母様のアルコール依存症が組織に属する前からのものだったのか、それとも組織と関係した後だったのか、その辺もすごく気になります。
また知識不足で申し訳ないのですが、名前フラバという言葉も初めて聞きました。
また気が向いたらお便りいただけますと幸いです。