こんばんは、ブルです。
みなさんは、自分のことを何でも話せるそんな仲の良い友人は何人いますか?
私は0人です。
定期的に、そして他愛もないやり取りのできる幼馴染なら一人いますが、自分のことを何でも話せる仲ではありません。
その友人はこのブログの存在も知らなければ、私が持っているHSPやアダルトチルドレンといった気質、また幼少期からの生い立ちなどもまったく話せていないからです。
過去そういう話をすることのできる友人が一人いましたが、数年前に亡くなりました。
自分のことを何でも話せるような親友ができれば人生は素晴らしいものになるのにと思ってはいるんです。
でもそれがなかなかできないんですよね。
「もう30歳も過ぎるとなかなか新しくて親しい人間関係を築くのは難しい…男は頑固だしな」と、年齢やプライドを理由に片づけてきたのです。
人間関係をリセットして遠ざけたものの人恋しい…深い関係は築けるか?
私が他人と深い関係が築けないのはなぜか?考えて書き出してみました。
今まで自分を押し殺して無理をしてでも他人に嫌われないように、誰からも好かれるように生きてきました。
しかし、アダルトチルドレンやHSPという気質を知るにつれて、自分は人間関係を築くことに向いていないんだ、あえて疲れる生き方をする必要もないと言い聞かせるようになり、自分から殻に閉じこもるようになったのです。
今では転職と引っ越しをきっかけにほとんどの人間関係をリセットしてひっそりと暮らしている状態です。
たぶん今まで付き合ってきた友達からは「なんだこいつ?」と思われているに違いありません。
本当の本当は人が好き
特にHSPという言葉を知ったのは平成の終わり頃で、あまりにも自分にぴったりと当てはまったため、それからというもの余計に人を避けるようになりました。
今では煩いの多い正社員を辞め、派遣社員と在宅ワークという人に会わない仕事に就いており、人間関係のいらぬ心配を抱くことはかなり減りました。
かつて付き合っていたうわべの友人たちとも転職や引っ越しをきっかけに会うこともやめました。
しかし、人間関係を面倒くさい、うざったらしいものと思っているはずがどうでしょう。
Twitterでは共感欲しさにたくさんつぶやいてみたり、頻繁にSNSをのぞいたりと、人とのつながりばかり気になっているのも事実です。
心の奥底では、人が好きで、寂しくて、誰かと深くつながっていたいと思っていたのです。
深い関係が築けない二つの本質的な理由とは
HSPやアダルトチルドレンと言った気質だけをふりかざしても本質的な理由は見えてきません。
それらの気質にあてはまらない人でも同じように深い人間関係を築けないという人はいることでしょう。
では、深い人間関係を築けない本質とはなにか。
それは、自己への執着と懐疑が自分の中にあるからです。
自己への執着
他人から嫌われたくない、他人から好かれたいという気持ちは、一見自分の周りばかりに気を取られているようにも思えます。
しかしその本質は違います。
人から嫌われることで傷つきたくない、つらい思いをしたくないという気持ちは、自分に執着していることの証です。
懐疑的であるため
懐疑とは信頼の反対語です。
他人から裏切られることや、嫌われることばかりを恐れる人は、常に人に疑いの目を向けるようになります。
例えば、恋愛関係にある片方が懐疑的で、パートナーが浮気をしていないかどうか気になっていたとします。
そして浮気の証拠を探そうと躍起になり、実際にたくさんの浮気の証拠が見つかります。
国内200万部を超えるヒットセラーになった「嫌われる勇気」の本にはこの部分についてこう続けますした。
相手の何気ない言動、誰かと電話で話しているときの口調、連絡がとれない時間。疑いの目を持ってみれば、ありとあらゆることが「浮気をしている証拠」に映ります。たとえ事実はそうでなかったとしても。
嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
この懐疑的なパートナーは、自分が裏切られて傷つくのが怖いがために相手を疑い、浅い関係しか築けないのです。
他者へ無条件の信頼を寄せることが深い人間関係を築く鍵
他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないことです。
嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
もしかしたら他人から裏切られるかもしれない、傷つけられるかもしれない、そんな不安な気持ちで人を疑いの目で見て避け続けるなら、深い人間関係が築けないというのはよくわかります。
でも現実問題外にはいろんな人がいます。
表面上性格の悪い人もいれば、心の中で悪いことを企んでいる人もいるかもしれません。
それなのに無条件に他人に信頼を寄せることなどできるでしょうか?
私の答えは当然Noでした。
寄せた信頼に他者がどう答えるかは他者次第
あなたはただ、「私がどうするか」だけを考えればいい
嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
書籍「嫌われる勇気」の元になっているアドラー心理学の教えでは、課題の分離をすることで無条件に他者を信頼できるようになるとも書かれていました。
課題の分離とはつまり、今この問題は誰が対処すべき課題なのかを見極めて線引きをするということです。
人間関係にあてはめていえば、他人から嫌われるかもしれない、傷つけられるかもしれないというのは自分にはどうしようもないことです。
他人が自分のことを嫌うか、傷つけるかは私が決めることではなく、他人が決めることです。
その他者が決めるところまでも干渉して自分の課題とする人は、いろんなことに怯えて人間関係を遠ざけようとするのです。
他人との関係を断ち切るかどうかを決めるのは私
いっさいの条件をつけないで他者を信頼した場合、なかには信頼で返してくれない相手もいることでしょう。
こういった場合、その人との関係を今後どうするかは自分の課題であり、自分で決めればいいのです。
対人関係の喜びは人生の喜び
こう考えてください。われわれには、信じることができます。疑うこともできます。そしてわれわれは、他者を仲間とみなすことをめざしています。信じることと疑うことのどちらを選択するかは、明らかでしょう。
嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
私はこの部分を読んだ時、震えました。
私が今対人関係で満たされていなかったがなぜかこの本をきっかけにわかったからです。
それからというもの、私の心の奥底に眠っている深い交友関係を誰かと築きたいという気持ちに正直になろうと思うようになりました。
過去につらい思いをして育ってきたから、HSPだから、アダルトチルドレンだからといっていては、いつまで経っても前に向いて進むことができない、喜びに満ちた人生をつかむことはできないのです。
無条件の信頼と課題の分離、どこまでやれるかわかりませんが、実生活にあてはめていきます。
結果どうなったか、またこのブログでご報告できればいいですね。
コメント