こんにちは、ブルです。
人は誰しも他人から好かれたい、あの人から認められたいといった承認欲求を持っています。
特に、幼少期から自分の人生を歩んでこられなかった人たち(場合によってはアダルトチルドレン)はこの承認欲求がひときわ強いといわれています。
私もそのうちの一人なのですが、最近読んだ「嫌われる勇気」という本の中に記されているアドラー心理学では、この承認欲求を否定していたのです。
これは承認欲求の存在を否定しているのではなく、承認欲求を否定して生きることで自由が得られるということです。
私はこの本を読んで今まで持っていた自分の考え方を180度覆されたような、そんな衝撃を受けました。
今回はその中の一部、「承認欲求」について取り上げている部分に注目しました。
すべての悩みは対人関係の悩み
人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである
書籍:嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
まず大前提として、アドラー心理学では人間の悩みをすべて対人関係の悩みとしています。
極論ですが、地球上の人間が誰もいなくなり自分一人だけになったとしたら、今抱えているあらゆる悩みはなくなるとされています。
自分一人だけになるということは基本ありえませんから、言い換えると「悩みの中には必ず他者の存在がある」ということです。
ここを読んだ時私は考えました。「今の私の悩みはなんだろう」と。
ぱっと見だとウィルスに感染などは人間関係の悩みと結びつかないと思うかもしれません。
しかし、悩みはウィルス感染後の先にあります。
例えば、仕事を休まなければならなくなり収入が減る⇒家計が苦しくなる⇒家族に負担がかかり、妻から頼りのない夫と思われることを恐れるといった風にです。
派遣の契約更新の悩みもこれと似ていますね。
更新できなければ次の職を探さなければならない⇒面接で緊張するな⇒新しい職場の人間関係になじめるかなといった不安です。
つまり、表面上は他者が絡んでいないように思える悩みでも、突き詰めていくとそこには必ず他者が介在するということです。
そしてアドラー心理学では、この対人関係の悩みは承認欲求を否定することで克服できるとさえいっているのです。
では、なぜ承認欲求を否定すれば対人関係の悩みが克服できるのか、具体的にどうすれば承認欲求を否定できるのかについてみていきましょう。
なぜ人は他者からの承認を求めるのか
アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。
書籍:嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
という教えに対して本に登場する青年は納得できず、他者から承認されることによって自分に価値を見出し、劣等感を拭うことができると答えます。
私もこの青年と同じ考えでした。
現に周りから褒められたり認められるとうれしくなるのは事実です。
でも、この青年と対話を重ねる哲学者は、逆にこの状況を「承認欲求の危うさ」とまで表現しているのです。
賞罰教育の影響
私たちは子どもの頃から良い行いをすれば褒められる、悪い行いをすれば咎められるという賞罰教育の元大人になります。
これが身に染みついていることで、褒めてくれる人がいないと良い行いをしない、咎める人がいないなら悪い行いもするという傾向がみられるのは事実です。
ゴミ拾いにおいていえば、褒められるという目的が先にあってゴミを拾うという考え方です。
よくゴミ拾い活動をしている団体などがゴミ拾いの様子をSNSで発信していたり、慈善事業を行っている団体に寄付を行う有名人がわざわざ寄付をしたことをメディアで公にすることなども承認欲求のあらわれといえるかもしれません。(すべての人がそうとは限りません。)
他者の期待を満たす必要などない
われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」
書籍:嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
みな自分の人生を歩んでいることに変わりはなく、他人が自分の人生を歩むことはできないということです。
例えば、親や配偶者、また会社の上司の期待に応えようと努力する人は、家庭や職場において苦しさを強いられることになります。
それは、他人の視線や評価に怯え自分本位の考え方ができなくなるからです。
私は小さい頃から母親の顔色ばかり伺い、母親を悲しませることがないよう自分の考えを犠牲にしていきた結果、自分の人生ではなく母親の人生を歩んできました。
大人になって母親から離れた時には自分がこれから先どう歩んでいけばいいかどうかがわからなくなり、関わる人をその母親に見立てて依存する人生を歩むようになったのです。(共依存)
では、この深く根付いた承認欲求を否定することなどできるのでしょうか。
アドラー心理学では、「課題の分離」をすることでそれが可能になると教えています。
課題の分離をして自分の信じる道を進む
「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。
書籍:嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
承認欲求が強い人は、他人から自分のことがどう思われているかが気になるあまり、どうにもできない他者の課題まで自分の課題にしてしまっているのです。
本の中では自分の顔にコンプレックスを持っている人の例が挙げられていました。
気に入らない自分の顔が、他人の目にどう映っているかが不安で仕方ないのです。
他人が自分の顔をどう思うかは本来他人が決めること、感じることです。
しかし実際はどうでしょう。
自分で自分の顔を気にすること以上に他人が自分の顔を気にしていることなどないのです。
他人からどう思われるかについてまで「自分の課題」にすることほど苦しくて疲れることはありません。
私も会社では周りに同僚がいるだけで自分の仕事っぷりが監視されている、仕事のできない人間だと思われることが怖かったです。
他人を気にせずただ目の前の仕事だけに集中できればどんなに楽なことかと思っていました。
ここで、アドラー心理学のいう課題を分離して考えることができれば、悩む必要がなくなるのです。
他者の課題に踏み込まない
われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。
書籍:嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
課題の分離を行うためには、まず課題が誰のものであるかを考える必要があります。
さきほどの例でいえば、他人が自分の顔をどう思うか、これについては自分ではどうすることもできないわけですから、他者の課題として扱います。
この、誰の課題かを見極める方法としてはこのように書かれていました。
「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」
書籍:嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
例えば、勉強をしない子どもを抱える親は子どもの将来を思って不安になるかもしれませんが、勉強するかしないかによってもたらされる影響を一番に受けるのは子どもです。
親でさえ子どもの人生を肩代わりすることはできません。
であれば親は子どもの課題には踏み込まないことで、子の勉強を自分の課題から切り離すことで不安を断ち切ることができるのです。
親は勉強のしやすい環境を作ってあげる、いつでも援助の手が差し伸べられる状態にしてさえおけばいいのです。
不自由な承認欲求
誰からも嫌われたくないと思う人は、誰にでもいい顔をしようとします。
例えば会社で複数の同僚や上司と仕事をすることがあるかもしれません。
承認欲求が強いと、その時々、接する相手毎に毎回相手の顔色を伺い、相手の考えに順応しなければならないのです。
自分がそう思ってもいないことに無理やり同調したり、できないことをできるといったり、約束を断れなかったりすることもあるでしょう。
そしてある時周りは気づきます。
「なんかこの人、都合のいいことばっかり言ってるな。八方美人だな。表面(おもてづら)はいいな」
ということに。
このような状況を本の中ではこのように描写しています。
他者の期待を満たすように生きること、そして自分の人生を他人任せにすること。これは、自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです。
書籍:嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
これを読んだ時、まさに自分のことだと痛感させられました。
つらいことに、私は自分にも他人にも嘘をつき、常に自分を守ることばかりを考えて生きていたんだなということに気づかされました。
傷つかないように生きてきたつもりが、ふたを開けてみたら自分で自分の首を絞めていたのです。
本当の自由
「自由とは、他者から嫌われることである。」
書籍:嫌われる勇気(ダイヤモンド社)
自由には代償が伴うとはよく言いますが、その代償がまさしく他人から嫌われることなのです。
他者からの評価を気にしてはいつまでも自分の生き方を貫くことができない、つまり他者から嫌われているということは、自分が自由に生きていることの証になります。
他人が自分のことを嫌うかどうかは他者の課題であって自分ではどうすることもできないと捉え、自分の生き方を貫くことが本当の自由であるといっているのです。
私は今、他者から嫌われているだろうか?と自問した時、嫌われない努力ばかりしている私はNoという答えになりました。
課題の分離は対人関係の入り口にすぎない
私はまったくもって本当の自由というものが得られていないということがこの本を読むことで浮き彫りになりました。
そして自由を得るためには承認欲求を捨てる必要があること。そのためには課題の分離が必要であることを学びました。
しかし、アドラー心理学においては課題の分離は最終目標ではなく入り口としています。
この本を読んで急に生活を一変させられる人もいれば、なかなか変わらないという人もいるでしょう。
私は後者です。
私は哲学というものを否定された環境で成長し、大人になりました。
しかし、すべての悩みは人間関係の悩みであるという言葉や、承認欲求のままに生きることが自分にも他人にも嘘をつき続ける人生であるということは真理だと感じました。
一度読むだけでは私には少し難しい本だったのかもしれません。
まずは課題の分離をするところから始めて、少しずつ自由な生き方をしたいものです。
この本は自分のことをアダルトチルドレンと感じている方にぜひ一度は読んでいただきたいですね。
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